こんにちは、渋谷店『シチーボーイ』でございます。
春もだんだんと近づき、靖国神社のソメイヨシノにも注目が集まるところとなっておりますが
本日は開花宣言されるのでしょうか?今日は少し肌寒い感じがするからまだかな~?
さてさて、本日より1週間はサングラスの代名詞『RayBan』を特集してみようと思います。
まずは第1弾として、本日は『RayBan』が生まれるまでの歴史をご紹介致します。
先にも述べたとおり、今やサングラスの代名詞となった『RayBan』
『RayBan』はドイツからアメリカへ夢と希望を持って移民してきた2人の青年の野望から始まる。
当時、移民先のアメリカで眼鏡職人として働き、眼鏡の輸入販売を行っていた『J・J・ボシュ』氏と
当時、家具職人として成功をしていた『H・ロム』氏が意気投合し『ボシュロム社』の前身を創業。
その後、『ボシュロム社』が作った顕微鏡やカール・ツァイス社のカメラなどに採用された
写真用レンズは当時、一級品の評価を得て、『光学機器はドイツ』という世界の常識を打ち破り、
アメリカの技術力の高さを世界中に知らしめることとなった。
こうして、『ボシュロム社』はアメリカでもトップクラスの光学メーカーへと成長を果たし、
20世紀に入るとアメリカ政府から各種レンズの開発依頼が舞い込み始め、その時、
『パイロット用サングラス』の開発依頼がアメリカ合衆国陸軍航空隊(現・空軍)より入るのである。
しかし、太陽光線による眼球疲労と視力低下、そして頭痛や吐き気に悩む隊員たちへ
光学的な裏付けを持つサングラスの開発に着手するのだが、開発には予想を超える困難を極め、
完成までに『6年』の歳月を費やした。
1929年、ついに『ボシュロム社』はパイロット用サングラスの開発に成功する。このとき発表されたのが、
『レイバン・グリーン』として有名な緑色レンズ(現主流となるG-15よりも薄いグリーンで♯1という)であり、
『ボシュロム社』オリジナルデザイン『ティアドロップ・シェイプ』である。
翌30年にアメリカ合衆国陸軍航空隊がこれを『アビエーターモデル』として正式に採用したのである。
それ以後、このサングラスがパイロットのシンボル(象徴)となり、やがて、その存在が一般的にも
知られるようになると、1936年に『アビエーターモデル』をクラシックメタルとして市販されるように
なったのである。
長々とすみませんでした。。。歴史がありますね。
明日より有名デザインモデルのご紹介やレンズの特徴などをご案内できればと思います。
最終最後までお付き合いの程、宜しくお願い致します。